古代
本州では律令によって国の形が作られていくなか、北海道では古墳文化の影響を受けた擦文文化が成立し、 後半の時期になると礼文島を含む全域に拡大します。 また、続縄文時代の後半からは、サハリンからオホーツク文化という独特の文化を持つ人々が南下してくるなど、 古代の礼文島は、南北から様々な人々が行き交うダイナミックな時代でした。
オホーツク文化概要
オホーツク文化の人々は、北東アジア、とりわけアムール川流域やサハリンなどの地域と関係が強い人々で、海での狩猟や漁労を生業としたことから、 遺跡のほとんどは海沿いに分布しています。礼文島では現在、18ヶ所の遺跡が見つかっており、 浜中2遺跡や香深井5遺跡・6遺跡では発掘調査も行われ、彼らの暮らしを物語る多数の遺構や遺物が出土しています。
擦文文化概要
擦文文化は、土師器の影響を受けた擦文土器、カマド付き住居の使用、鉄器の普及など、これまでの北海道の在地文化とは大きく異なります。 礼文島では現在、12ヶ所の擦文時代遺跡が見つかっていますが、発掘調査が行われた遺跡は数ヶ所しかありません。 香深井5・6遺跡では数少ない擦文文化の遺物が出土しているほか、久種湖周辺にある遺跡では複数の竪穴住居跡が見つかっています。