近代
					
					礼文島の神社
				
				特徴
				
					島内の各集落は、もともと大きな建網漁場があった場所が多く、
					建網漁家が安全祈願・大漁祈願のための祠を建立していました。
					明治中期以降、島の生活基盤が整ってくるに従い、神社として社殿や鳥居などが整備され、
					地域住民の手によって大切に守られてきました。
				
				
					しかし長い年月の間に、風雪害による倒壊、火災、軍用地や学校用地、道路用地供出のための移転など、
					創建当時そのままの場所に立つ神社はほとんどありません。
				
				
					今も昔も、香深村の村社であった厳島神社と、船泊村の村社であった礼文神社が中心的な神社ではありますが、
					各集落にある神社も地域住民によって大切に守られています。
				
			
			
				
					
						
							 
							
								知床神社
								
									明治後期の創建と言われ、学校用地との関係から2回ほど場所を移しており、
									一時期は自治会館にご神体を納めていましたが、現在は新たに社殿を建設しています。
									祭神は稲荷神です。
								
							 
						 
						
							 
							
								差閉神社
								
									江戸時代の絵図に記載がある古い社で、奉納品の年代から少なくとも明治30年代には社殿が建立されていました。
									旧社殿は裏手の段丘上にありましたが、現在は道路際に建てられています。祭神は八大竜王です。
								
							 
						 
						
							 
							
								厳島神社
								
									文化元年、場所請負人藤野伊兵衛の支配人岡田半兵衛が松前福山より弁天社を奉遷したのが始まりです。
									明治22年に土砂崩れにより旧社殿が埋没したため、翌年に現在地に建立されました。
									祭神は市杵島姫命ですが、昭和7年に三吉大神、翌8年に事代主命を合祀しています。旧香深村の村社です。
								
							 
						 
						
							 
							
								見内神社
								
									近世アイヌ伝説を創建の由来とし、祭神は見内神威と呼ばれ、ご神体は岩です。
									明治27年に社殿が建立され、毎年6月20日が例祭日となっています。
									この日は、子供神輿が香深井地区内を練り歩きます。
									なお、かつて社殿の周りは浜辺でしたが、護岸工事によって埋め立てられてしまいました。
								
							 
						 
						
							 
							
								赤岩神社
								
									明治中期ころの創建と言われ、かつては上泊地区にあったと伝わっています。
									ちなみに、明治34年赤岩氏子奉納の銘がある太鼓が残されていることから、
									この前後に現在の場所に移転してきたと考えられます。祭神は稲荷神です。
								
							 
						 
						
							 
							
								高山神社
								
									明治31年の銘がある太鼓が奉納されていることから、この前後に社殿が建立されたと考えられます。
									かつては裏の段丘上にあったため、今でも階段が残されています。祭神は稲荷神です。
								
							 
						 
						
							 
							
								礼文神社
								
									一説には文久3年、久種湖の神霊を祀った祠が最初とも伝わりますが、船泊地区の中心的神社として整備されるのは明治35年です。
									祭神は天照大神、事代主命、大海積命です。
									平成の初めまで神職も居住・奉職していましたが、現在は厳島神社宮司が兼務しています。旧船泊村の村社です。
								
							 
						 
						
							 
							
								大沼神社
								
									もともとは礼文神社の始まりとも言われる祠で、明治35年の礼文神社の建立とともに、
									付近の住民が管理する新たな神社となりました。祭神は天照大神、大国主命、八大竜王です。
								
							 
						 
						
							 
							
								鉄府神社
								
									大まかに明治時代に創建されたと伝わりますが、吹雪により旧社殿が倒壊したため、
									由来がわかる記録等は一切ありません。祭神は稲荷神です
								
							 
						 
						
							 
							
								西上泊神社
								
									この地区の有力な建網漁家であった西宮家の祠を継承したものと伝わる神社です。
									明治37年の礼文島明細地図には神社があることが記されています。
									道路工事のため、現在地に場所を移しています。祭神は稲荷神です。
								
							 
						 
						
							 
							
								鮑古丹神社
								
									明治中期頃には集落の神社として建立されたと伝わっています。
									旧社殿は火災に遭い、昭和10年に現在地に新たな社殿が建立されました。
									祭神は稲荷神と八大竜王です。なお、境内には日露戦争における旅順陥落を記念した石碑が建てられています。
								
							 
						 
						
							 
							
								江戸屋神社
								
									明治末期の創建と言われています。かつてはもう少し上の場所に社殿がありましたが、戦前に現在の場所に移転しました。
									社殿の裏手には今でも古い鳥居が一部残されています。祭神は稲荷神です。
								
							 
						 
						
							 
							
								須古頓神社
								
									須古頓地区の稲荷神社と白浜地区の金毘羅神社が合併して新たな神社となっています。
									白浜の金毘羅神社の敷地は、海軍基地宿舎の予定地となって移転したと伝わっています。
									祭神は稲荷神と金毘羅神です。
								
							 
						 
						
						
							 
							
								浜中神社
								
									明治期にゴバを営んでいた沢口家の祠を継承したものと伝わっています。
									昭和40年初めに社殿が廃され、礼文神社へご神体を移しましたが、
									40年代末に新たな場所に社殿を建立し再び祭祀されました。祭神は稲荷神です。
								
							 
						 
						
							 
							
								内路神社
								
									かつては、内路川付近の段丘上に社殿が建てられていましたが、雪崩によって崩壊したため、
									海に近い場所に移し、さらに昭和20年代末に現在の場所へ移ったと伝わっています。
									祭神は稲荷神です。
								
							 
						 
						
							 
							
								津軽町神社
								
									明治初めにこの地域に入植し、漁場を開いた三浦家の祠を継承したものと伝わっています。
									社殿の中には古い祠がそのまま残されています。
									社殿前には狛犬ではなく、騎馬武者が奉納されています。奉納神は稲荷神です。
								
							 
						 
						
							 
							
								尺忍神社
								
									早くからこの地域で建網漁場を営んでいた松村家の祠を継承したと伝わっています。
									社殿の老朽化により一時は自治会館へご神体を移されましたが、
									現在は新たな社殿が建てられています。祭神は稲荷神です。
								
							 
						 
						
							 
							
								元地神社
								
									明治初頭に漁場を開いた柳谷家の祠を継承したと伝わっています。
									古い社殿は火災で焼失し、さらに近年に強風によって新たな社殿も大きな被害を受けました。
									祭神は稲荷神と八大竜王です。